1972年1月27日

愛知県豊橋市にて生誕

 

秀亮(しゅうすけ)と命名される。2歳頃庭の水がめに落ちる。兄が発見し、同居していた祖母に知らせてくれて一命を取り留める。

 

 

1975年3月

埼玉県北足立郡吹上町へ転居

 

今度は家の近くを流れる小川へ転落。またもや兄が、畑作業をしていたご近所さんに知らせてくれて助けられる。溺れている間に、泳いでいたカエルと目が合う。

 

1976年4月

吹上町立やなぎ幼稚園入園

 

連絡帳に、「私女よ~と言っては女っぽい行動を取っています。とても心配です・・ご家庭ではいかがですか?」と書かれているのを最近発見。れいこ先生、ご心配的中です。

 

1978年4月

吹上小学校入学

 

・入学式の日、高学年の女の子達に囲まれ可愛い可愛い!!と大騒ぎになる。

なぜか少年野球チームに所属。初めて買ったレコードは聖子ちゃんの「チェリーブラッサム」。今でもCDを買い、コンサートに足を運んで応援を続ける。自意識過剰な少年期を送り、親戚の集まりで「秀ちゃんはよっちゃん(いとこ)にそっくりだね」と好意的に言われたにもかかわらず、「僕は誰にも似てなんかないもん!!」などと泣き叫び、団欒の席を凍りつかせる。

 

1983年4

沖縄県那覇市立上間小学校へ転入学

 

カルチャーショックの連続。基地問題、日の丸・君が代問題、不発弾撤去等、戦争のつめ痕に直に触れる思春期を過ごし、人格形成に大きな影響を受ける。

 

1984年4月

那覇市立寄宮中学校入学

 

念願のバレーボール部に入部、一日も練習を休まないほど熱中。にもかかわらず、最後の大会直前に負傷。寝不足とストレッチ不足が原因だったため、今でもショータイム前のストレッチは入念に行う。「あの時ちゃんとストレッチしておけば・・」という後悔は二度としたくない。

 

意見発表会や駅伝大会で学校代表になったり、成績学年1位になったりと輝かしい思い出がいっぱい。本気で勉強を始めると、口からよだれが垂れても気付かないほどの集中力を発揮していた。その反面、バスケット部男子に囲まれてボッコボコにされるという苦い思い出も。未だに原因不明。

 

おニャン子クラブに熱狂、こニャン子クラブ(ファンクラブ会員)の一員となる。人生初のコンサートが中2の時に行った渡辺美里。一緒に行ったおニャン子仲間が感動のあまり美里ファンに寝返ったため、絶交。3年生の修学旅行中に、同じクラスの男の子とファーストキス。唇ががっさがさで、おまけにおせんべいの味がした。

 

1987年4月

沖縄県立開邦高等学校入学

 

沖縄初の進学校ということで、0時限~7時限制(8時間授業!)を取っていた。中学時代の優等生から一気に転落し、物理(?)のテストにおいて人生最初で最後の0点を取る。先生が何を言っているのか全くもって理解出来なかった。

ソフトボール部キャプテンにゾッコンLOVE。いじらしく、彼のバスの時間に合わせて登校していた。おニャン子クラブの解散コンサートで東京に行くため、「味処・和」にて人生初アルバイト。時給350円。そのお店で、これまた人生で初めて女装者に出会い、そういった人々の存在を知る。名古屋へ転校する時、空港に沢山の友人が見送りに来てくれて号泣。飛行機の窓から小さく見えた、一生懸命手を振る友人の姿は大切な青春の宝物。

 

1988年4月

愛知県立日進西高等学校転入学

 

転校初日、校門にて生活指導教師に捕まる。学帽を被らずに登校した所、「学帽は制服の一部。その学帽を被らないってことは制服の一部であるズボンも脱げるってことだな?脱げ!」と怒鳴られる。ズボンは免れたが、お気に入りの可愛らしい靴下を脱がされ、まだまだ寒い4月の朝に裸足になって校門で正座させられるという幕開け。そんな幕開けに象徴されるように、残念ながらこの学校に良い思い出はほぼ無し。嫌な事は続くもので、3年生の4月、自転車で登校中に車にはねられる。左側頭部強打、左鎖骨複雑骨折により手術、左足首骨折と全治3ヶ月の重傷。サッカー部キャプテンに恋。連日夜のお散歩に付き合ってくれるので、これはイケルと告白したところ、「はぁ!?お前何言っとんだぁ!男のくせに気持ち悪ぃなぁ!!」と怖がられて玉砕。

 

 

1990年4月

代々木ゼミナール名古屋校入学

 

人気講師の講義に感動、予備校に行くのが楽しみで仕方なかった。講義という名のエンターテインメント!前のクラスが終わる前からドアの前で陣取り、扉が開くと同時に猛ダッシュして良席確保に努めていた。そのかいあって成績はうなぎ上り、偏差値が20以上アップ!

 

1991年4月

青山学院大学法学部私法学科入学

 

勉強もせずに遊びとバイトに明け暮れる。得たものは生涯の友と、今も人生を共に歩むソウルメイト。ゲイであることをカミングアウト、多くの友人を失う。就職活動は特にせず、卒業後はアルバイトをしながら芸能界を目指すことに決める。

 

1996年4月

人生初舞台

 

通っていたダンススタジオの公演で、ヤクルトホールにて。

 

1997年10月

ギャルソン・パブにてショーパブデビュー

 

契約更新時の交渉が不調に終わり、自分としては筋を通して辞めたつもりだったがギャラの未払いが発生。やむを得ず、生まれたての「小額訴訟」制度を利用して会社を訴える。法律家・行政書士としての原点となる経験!?

 

1998年11月

新宿二丁目ラ・セゾンへ

 

小さなお店ながらも、パワフルで趣向を凝らしたショーをしている人気店だった。風営法違反で摘発され、残念ながら現在は閉店。

 

2000年11月

蜷川幸雄演出「火の鳥」出演

 

商業演劇デビュー作。アンサンブルとはいえ、初めての作品が世界の蜷川の舞台であったことは幸運。会場は埼玉スーパーアリーナ、共演はSPEEDの今井絵里子さん、いかりや長介さん等豪華な作品だった。

 

2001年7月

「ロミオとジュリエット」出演

 

博多座にて。牧瀬里穂、山本耕治、夏木まり等豪華共演陣。

 

2002~2003年

ミュージカル 美少女戦士セーラームーン 出演

 

初めての役付ということもあり、私の代表作品。池袋サンシャイン劇場をホームにして、全国各地を巡業。今や大スターとなった城田優君や多部華子ちゃんも共演。歌・踊り・芝居に加え、レコーディングやイベントMCなど貴重な経験をさせて頂いた。

 

2004~2007年

売れない役者期間

 

仕事がほとんど取れず、アルバイトをしながら小劇場作品に出たり、映画やテレビでエキストラに毛が生えたような役や歌番組のバックコーラス等を細々とやっていた。

 

2007年8月

六本木金魚にてショーパブ界復帰

 

ただのゲイだった私をニューハーフへと導いてくれる先輩と衝撃の出会い。

 

2008年1月

ホルモン療法開始

 

2008年6月

豊胸手術&性別適合手術

 

世界最高水準と評されるタイでのオペを予定していたが、生まれ故郷の愛知県豊橋市でオペをしてくれる医師を紹介され、生まれた場所でニューハーフに生まれ変わるというドラマ性を選ぶ。

 

2009年7月7日

戸籍を女性に変更。

 

2009年8月

「新宿ミッドナイトベイビー」出演

 

共演者は、いしだ壱成さん、浅野温子さん、山崎邦正さん等これまた豪華。

 

2009年9月

六本木金魚を卒業し、舞台活動再会。

 

再びアルバイトをしながらの売れない役者期間へ。

 

2011年3月

六本木香和にて再々度ショーパブ界へ

 

週3日の出演でよいということだったので、残りの日はなんらかの勉強をしようと決意。どうせなら独立開業出来る国家資格をと行政書士を目指すことを決める。それまでお酒を楽しめない体質だと思い込んで生きてきたが、香和にて酔っ払って大はしゃぎする楽しさを覚える。40過ぎて新たな自分の一面を知り、人はいくつになっても変われるのだと実感。ショーで思い切り踊って感情を爆発させ・記憶をなくすほどテキーラでベロッベロになりながらも、翌日はしっかりと法律の勉強をするという抜群のバランス感覚で受験生生活を乗り切る

 

2013年1月

行政書士試験合格

 

2013年4月

行政書士よだかれん事務所 開設

 

「踊る行政書士」として、六本木香和でのショーダンサーと行政書士、二足のわらじで走り始める。                          

What's New

LINK

日本行政書士連合会

 http://www.gyosei.or.jp/

 

東京都行政書士会

http://www.tokyo-gyosei.or.jp/